月曜日の昼下がり。貧乏旅人の行く場所といえば相場は決まっている。山かビーチか図書館。今日は近所の市営図書館に来た。
今いるアデレードは乾燥地帯に囲まれているため水道水がまずい。そのくせすぐに喉が渇く。無料のウォーターサーバーがある図書館は天国そのものだ。クーラーもWi-Fiも完備。どんな人種にもオープンな雰囲気は多国籍なオーストラリア社会を反映している気がする。そのうえなんと、このライブラリにはフリーコーヒーがあるではないか。お決まりのフラットホワイトを作ってニヤニヤして席に戻る。
「うまいなぁ。」
一口啜って読みかけの本を開く。ふとバリで飲んだ一杯のコーヒーを思い出した。孤独な夜明けにばったり出会ったあのコーヒー。あの味を忘れることはないだろう。
あの朝の記憶がぼやけてしまう前に、備忘録をここに記す。
01/09/2023
バリ島で最も標高の高いアグング山(3,031m)に登るためバイクを走らせていた。Sanurにある宿を出発した時刻は深夜12:00。街灯などない田んぼ道をただひたすら走る。今回の目的は山頂からのご来光を撮影することだ。登りで5時間ほどを見込む計画。マップを頼りにトレイルのスタート地点になんとか到着。
vs 野犬
無事予定のスタート地点に到着。辺りには古いゴミ箱があるだけで何もない。本当に登山道なのか少し不安になる。しかしバイクを止めるや否や山奥から野犬の群れが大声で吠えながらこちらへ向かってきて、それどころではなくなる。
彼らのナワバリに侵入してしまったようだ。経験上、野犬の対処法は奴ら以上に大声で吠えて威嚇をすること。人間vs野犬達の戦いが数分間繰り広げられた末、なんとか勝利。彼らは山奥に帰っていった。とはいえのんびりはしていられないのでさっさと身支度をして出発をする。この時の焦りで重大な見逃しをしていたことは後で知ることになる。
焦り
出発してから2時間ほど順調に歩を進める。標高1500m。道幅が狭くなってくる。地面には雑草が生い茂り踏み平された跡がない。目の前をライトで照らすと獣道が続いているだけだ。
これほんまに合ってるんかいな。
不安になりマップを確認する。しっかりとトレイル上にGPSがある。安心して前進する。しかし進めば進むほど目の前は蔦や倒木が行手を阻む。登山道と呼ぶには程遠い状態だ。
AM3:30 やはりもう一度マップを確認する。そしてあることに気が付く。スタートした地点から200mほど東にもう一つトレイルがあったのだ。ここまで枝分かれになるようなポイントはなかったが、暗くて見落としてたのだろう。
おーーーいまじか、どうしよ。しゃーない戻るか。
事前に予定していたトレイルからは少し離れることになるが、2kmほど引き返してマップ上での分岐点まで戻ることにする。日の出までに山頂につかなければという焦りと来た道を戻るだけだという慢心のせいでスピードがどんどん速くなる。地面は乾いていて滑りやすい斜面。
うわ!!
案の定豪快にスリップをしてしまう。幸い斜面は蔦で覆われていたため2mほどだけ滑って止まった。あっぶなぁ。
少しひやっとしたが、すぐにトレイルに復帰する。もう焦らずにゆっくり下ろうとつぶやく。
そして数分後にザックのサイドポケットに入れていた水筒と、ケツポケットに入れていたスマホがないことに気が付く。
最悪や、なにしてんねん。
月
AM4:30 結局スマホと水筒を見つけるのに30分ほどかかった。この捜索に体力と気力を全部持っていかれた。
「モノを探す」という行為は本当に嫌いだ。失くすまで自分が所有する側だったのに、失くした途端モノに振り回される。自分の生活、ここでは運命までもがモノごときに依存してる。その執着心みたいな感情に気付かされるのも気に入らない。そんなことを考えながらぼーっとする。
雲の切れ目から月明かりが頭上を照らす。綺麗な月だ。
3年前に訪れたインドとパキスタンの国境付近でバイクが動かなくなった時のことを思い出す。真っ暗ななか道端で絶望しながら見上げた月。悔しいくらいに綺麗だった。今見上げている月もあの時と同じくらいまん丸な月をしている。あの時も孤独だったなぁ。目頭に溜まった涙が感動からなのか孤独感からなのかは分からない。でも久々に泣いた。泣いた、というより気づいたら涙が流れていた。
こんな山奥で。
帰路
AM 6:30
空が少し明るくなってきた頃にスタート地点に戻ってきた。結局半分くらい登って帰ってきただけの登山になった。途中見落としていた分岐点を見つけたがその道もまた獣道のようなものでトレイルには見えなかった。もし頂上に繋がる道だったとしても今の自分には登り切る体力と気力がなかった。
野犬達に吠えられながらバイクにまたがる。そしてふとトレイルの入り口に立つ看板に気づく。夜には存在すら気づかなかった。インドネシア語と英語で文字が書いてある。
「Old trail. Closed. Go back.」
Kopi
孤独感と悔しさがじわじわと僕をネガティブな感情にさせる。何してるんやろうこんなとこで。ため息を吐きながらバイクを走らせる。
山から20分くらいのところで小さな村を発見する。200人くらいは住んでそうな村でお店も数軒ありそうだ。なんだか無性に誰かと話したくなり、水を売ってそうな小さな売店を覗いてみる。奥にはご主人と奥さんらしき人がいる。まだオープンはしてないようだが、こっちに気づいて話しかけてくれた。
僕はバリ語もインドネシア語も話せないので、「ウォーター!ウォーター!」とペットボトルの水を指差して買いたい意志を示す。ネットが繋がらないので翻訳もできずもどかしさを感じるが、2人とも笑顔で店を開けてくれた。ジェスチャーと簡単な英単語で自分のストーリーを話した。3割も伝わらなかったが、自分が日本人で今日アグング山に登ろうとして失敗したことは伝わった。
たとえ何も伝わらなかったとしても誰かと話しをするだけで十分癒された。
水を受け取り帰ろうとすると、2人が「Kopi!Kopi!」と僕を引き留めてくれた。コーヒーを作ってくれるようだ。バリの人たちは本当にコーヒーが好きだ。
この小さな村の人たちはどんな生活をしているのだろう。朝起きてご飯を食べて歯を磨いて学校や農作業に行くのだろうか。夜は何をするのだろうか、テレビはあるのだろうか。休日は何をして過ごすのだろうか。そんなことを考えながら奥のテーブルで少し待っていると、ご主人が満面の笑みでコーヒーを持ってきてくれた。白い湯気がゆらゆらとコーヒーから溢れ出している。熱々なのが分かる。ありがとうと言い、カップを手に取る。
あったけぇ。自分の体がとても冷えていたことに初めて気がつく。
「うんまぁ。」
熱々で甘々のコーヒー。癒される。2人の優しさがコーヒーを通して全身に染み渡る。
この2人とコーヒーに出会うために僕は今日山に登れなかったんだ。旅は道ずれ世は情け。また山に何か大切なことを教えてもらった気がした。自然にそう思えてきた。地図の端をちぎった切れ端に「Kopi Terima kasih, ありがとう。また来るね。Hiroya」と書き2人に渡した。そして別れ際に数枚写真を撮らせてもらえた。
朝日の写真は撮れなかったが、この2人の笑顔が僕にとっての太陽になった。